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亀之尾について
1901年9月、旧余目町小出新田の篤農家阿部亀治氏が当神社参拝の折、当時の通称「冷立稲」が、その特性を失い、ほとんどが倒れ、見るかげもない状態の中、黄金色に見事に結実した3本の稲穂を発見。深く関心を持ってそれを持ち帰り、培養・改良を重ねた。
その結果、1905年、天候不順のうえウンカが大発生した際にも、きわめて軽微な被害だけで意外な豊作の結果を得た。以来「亀之尾」と名付けられ、東北・北陸方面のみならず、朝鮮にまで普及した。
鳥居をくぐり、左手に碑がある。
お米の家系図
999-6607
山形県東田川郡庄内町肝煎丑ノ沢71
熊谷神社 0234-59-2204
(宮司宅:0234-59-2525)
ひのさわやま
みたきじんじゃ
くまがいじんじゃ
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